今週のお題 息子の誕生日

先週の金曜日は息子の9歳の誕生日だった。
 
今までずっと家族みんなで祝ってきて今年もまた同じようにみんなでお祝いした。
5歳の時に買った自転車がぼろぼろで小さいので
今年の誕生プレゼントは自転車。
 
私からのプレゼントは「ドラゴンクエストバトルロードカード」
ネットでレアカードを入手してそれをプレゼントにした。

3年ほど前からゲームセンターに行くと必ずこのゲームをする。
息子がバトルをして私は後ろからカードを差し出す。
はじめはそんなことはしていなかったが
ある親子がそうしているのを見ていつの間にかするようになった。
 
その親子とはよく会うようになってカードの交換もするようになった。
いつしか子どもよりも私の方がカード集めに夢中になってしまい
ネットで値段も調べるようになった。

野球カード メンコ 切手 ガンプラ・・・・。
子どもの頃から収集癖があるのでそれがまた姿を現した感じ。
 
「うわあ。すげえ。」と言ってカードを眺める息子を見て
ブルーな気持ちがその時だけは吹き飛んだ。
 
やはり子どもの笑顔が私の最高のドリンク剤だ。

今週のお題 ドラゴンクエストとスターウォーズ

高1の時にドラクエと出会った。
ロールプレイングゲームなどやったことがなかったから
ゲームオーバーになっても続きができることの意味がわかるまでに
しばらく時間がかかった。
 
ドラクエ2はドラクエから何倍も広がった世界と
3人のプレーヤーでの冒険とにわくわくしたものだ。
これも初めての経験だったので。
 
ドラクエ3はデパートに並んで買った。
高3だったか予備校生だったか覚えていないが
買ったその足で友達の家に行って
ゲームを始めてしまったため帰るに帰れなくなり
4日か5日居座ってしまった。
 
ドラクエ3のシナリオは今思い出しても震えがくる。
 
1と2の時はスイッチを入れるとすぐに流れるあのファンファーレが
なぜ3では鳴らないのか。
すべてのシナリオをクリアしたときに初めてわかるあの感動。
「1」「2」「3」と続けてやることで「ロト伝説」が完成する
壮大なシナリオ。
時系列で行くと 3 1 2 となっている所が何とも言えなかった。
 
後にスターウォーズのエピソード1があったときに
すぐに「ピン」ときた。
ドラクエ3だ。」

懐かしい場所を通って

今日は仕事で外に出た。
会議が終わった後車に乗って帰宅する。
少し遠回りして帰った。
 
中学2年まで住んでいた所を通りたかったからだ。
 
あこがれのこの話をしながら友達と帰った道は
ほとんどそのまま残っていた。
突然片側2車線の大きな道が出現。この道は27年前にはなかった。
国体があったときにできた大通りだ。
違和感を覚えながらその道を通り抜けるとまた見慣れた道に戻った。
 
そのまま小学校の前も通ることにした。
大工事があっていて小学校の周りは更地になっていた。
どこに何があったのか なくなると思い出せない。
 
父が国鉄(現JR)の職員だったので
駅の近くの職員住宅に住んでいた。
小6からは近くの4部屋ある職員アパートに越したけど
小5までは2部屋しかないほんとに小さなアパート。
このアパートの周りの狭い所で同じアパートに住む友達と
遅くまで野球をしたり虫取りに精を出したりした。
父が亡くなる中1までこの地は私に取って唯一のプライベートエリアだった。
そのアパートは跡形もない。
道が変わったことでどこにあったのかさえわからなくなっていた。
 
そして駅近くの神社へ。
私たち夫婦はこの神社で結婚式の前撮りを行った。
特に思い入れがあるからと言うわけではないが
なぜかこの神社を選んでいた。
今の家からは10キロ以上離れているのに。
子どもの頃ここで相撲大会があったり子ども御輿があったり
私にとっては多少思い出のある神社ではある。
妻からすれば何の思い出もない所ではあるが
何も言わず賛成してくれた。
 
車から降りて2,3分歩いた。
周りは変わっても神社は変わっていなかった。
腹に何も入れなくても和服を着ることができたのに
カメラマンさんに「だいぶ入れたでしょ。」と言われて
2人で大笑いしたこと。
当時母子家庭だった妹の息子が私たちの子どもみたいに
写真撮影ではしゃぎ回っていたこと。
ついこの前のことのように浮かんできた。
 
10年前はこの幸せがずっと続くのが当たり前だった。
でも今はそれが壊れることが心配で仕方ない。

今週のお題「母/母の日」母親のことを考える2

母は24の時に父と結婚し26で私を産んだ。
30の時に妹を産んで39で父を亡くした。
15年間の結婚生活。

その後は何度か彼氏らしき人ができたようだが再婚はしていない。
家に遊びに来たりドライブに連れて行ってくれたりした人たちもいた。
私たち兄妹は「再婚するのかな」と思っていても結局は再婚しなかった。

大人になってから何となくわかってきたことだが
どうやら私たちのことを考えて再婚しなかったようだ。
心の問題だけではない。
経済的な問題もあったようだ。

遺族年金というのは再婚したら出なくなるらしい。
私たちを育てるために遺族年金を維持することが大事だったのだろう。
再婚して経済的によくなりそうな気がするがそれがいつまで続くかわからない。
そういうことを考えて再婚しなかったというのだ。
妹には一度だけそんな話をしたそうである。

私は結婚して10年。
母がパートナーである父と暮らした月日は15年。
もうその2/3きたわけだ。
そう考えると父と母の時間はとてつもなく短い。
子どもの時にはそういう時間の長さの概念がなく
こんなに短い時間だとは知らなかった。

そう思うと妻や息子達との時間を大切にしなきゃって思う。

仕事に追われ
1日のうちで家族みんなで過ごす時間は2時間もない。
その2時間はめいっぱい家族とのコミュニケーションを取らなくてはと思いつつ疲れた心と体を休ませているともう寝る時間。

また1日いつかわからない別れの時間が近づいた。

今週のお題「母親/母の日」

私40歳。母・・・・・?
朝から妻が私の母親に何かプレゼントしていた。
息子と一緒に選んだらしい。
私はと言うと
「長生きしてください。」と言っただけ。

父を中1の時に亡くしてるので
かれこれ27年くらいは母親1人で私たち兄妹を育ててくれた。
母子家庭だからと言って苦労した記憶がないのは
それだけ母親が陰でがんばってくれていたんだろうと思う。
それに引き替え私たち兄妹は迷惑かけっぱなしだった。

妹が昼頃やってきてカーネーションをおいていった。
やられた。私は何もない。

いつか母親の夢である北海道旅行に連れて行ってやりたいと
もう何年も思っているがそのための行動は相変わらず何もしていない。
いつも思いと行動が一致しない40親父だ。

親父を亡くしたときの母親の年齢を超えた私は
突然大切な誰かがいなくなる事への恐怖を
時々感じるようになった。